北半球の高校生の受験準備に関してvol.14 ―帰国生大学入試についてvol.156―

(2013年2月13日 18:35)

こんにちは。SOLの余語です。
前回は、海外の高校生活で行う人が多い社会的な活動が、帰国生入試やAO入試の面接試験でなされる質問に対する受け答えの内容を充実したものにすることを述べました。大学や学部・学科によっては、それが合否の結果に直接的な関連性を持つケースがあることを考えると、様々な活動に参加することが望ましいと考えますが、今回はそのような体験がもたらす受験準備期間や大学における学びに対する影響を挙げたいと思います。


環境保護は現代社会が抱える大きな問題の一つで、高校生の段階でも強い関心を持っている人もいても不思議はないトピックです。日本でもこの問題を様々な観点から取り上げた本も多く出版されていますが、そこでは現実の世界で対策がなかなか進まない理由の一つとして、「環境保護のための取り組みに伴うコストが経済活動に余分な負荷をかける」ということが言及されることが多くあります。ここで使われている言葉や表現には理解できないものはないという印象をほとんどの人が持ったかと思いますが、「環境保護のための取り組みに伴うコスト」とは何かと考えると、具体的にイメージするのは難しいものです。


この点、前々回の記事で紹介したような高校の周りの森林を復元するプロジェクトを主体的に運営するといったようなスケールの大きなものでなくても、自分の住む地域社会の清掃活動に参加したり、危機的な状況にある生物の保護のための募金を集めたりした経験があれば、大規模な活動を行なうのにどれだけの人員や道具が必要になるかということについて大まかなイメージを持つことが可能になります。また、上のような体験に加えて、日常生活の中で商品を購入したり、アルバイトの求人案内などを見たりする機会があれば(海外のスーパーマーケットでは、掲示板に様々な職種の求人票が貼り付けてあるのを目にすることがあるでしょう)、活動に必要なものを揃えるのに不可欠な金銭や手間がどれほどのものかということを理解する手がかりを得られる場合もあると思います。


これは環境問題に限定される話ではなく、一般的に体験の蓄積は本などで見かける抽象的な概念に色や形、感触などを吹き込んでくれるものです。そして、それは一見したところ具体的なイメージを抱きにくいものの理解をより深いものにしてくれますし、それに関する自分の主張を多くの人が説得力を感じるものにするために重要な役割を果たします。これだけでも、高校生活で社会的な活動に参加することは学問を学ぶことに対して十分な意義を持っているということになりそうですが、学習者が上のような自分の体験と学問的な事項などとの間につながりがあることを実感した時に、それを自分の身近にある問題と捉えるようにもなります。世の中には一部の学者に見られるように純粋に抽象的な思考を楽しめる人も確かに存在するものの、多くの場合、自分の生活との関連性が明確になったものが対象でなければ真剣に考えようという気になることは難しいようです。このように、社会的な活動に関わる体験を得ることは様々な形で、個人の思考と学問的な世界の「橋渡し役」になってくれます。


このようなことを考えると、日本の学校教育には、学問的な事項や社会問題に対して生徒一人一人が関心を向けるように促すべき段階で、それが彼もしくは彼女の生活に関係したものであるということを気付かせる機会がないことは好ましいこととは言えないと思います。一方で、海外の高校に通う人はこれから学問を学んでいく上で大切なものを得るチャンスがあるのですから、それを十分に活かすようにしてください。


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