1月11日から1月15日までのグループ指導について―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol. 136―

(2021年1月11日 18:10)

こんにちは。SOLの余語です。
昨年の12月14日に掲載した記事では、SOLの教室にある教師と生徒の共有スペースが、一人ひとりの生徒にとって「これまでの自分があまり関係を持ってこなかったタイプ」の人とのコミュニケーションを生み、それが「できるだけ客観的」な内容の文章を書くことが求められる小論文試験の準備によい影響を及ぼすということを述べました。また、相手にしっかりと向き合うことで築いた良好な人間関係が大学受験というプレッシャーのかかる場面で一人ひとりの精神状態を大きく支えてくれているものになったというのも生徒からよく聞く話です。

このような話をすると、「多様な人間と出会うことが小論文試験の対策につながるのであれば、生徒が多い予備校のようなところで学んだ方がいいのではないか」と考える人がいると思います。確かに、人が多く集まる場にはその数の分だけこれまでの生活体験やその中で育んできた価値観などに違いが見つけられるはずですが、「どのような人と付き合うかという点で選択肢があり過ぎる」と感じる人が少なくない上に、人が集まることのできるスペースも様々な場所に設けられているのが一般的です。

このような環境に入った時にこれまでの体験を踏まえて「自分に合う」と判断した人を見つけ出して、彼(ら)との関係性に重きを置くようになるというのは社会の中で以前からよく見られる光景ですし(養老孟司氏がよく「人間の脳は『同じである』ことを好む」という趣旨の発言をしていますが、その特性の表れなのでしょう)、最近、情報機器の発展などによって「これまでの自分」という「枠」を守りたいと考える人が増えており、それは上で述べたような傾向をより強いものにするはずです。そのようなことを考えると、多くの生徒が集まる場は、(特に他人とコミュニケーションを取ることに積極的になれない人にとって)前回の記事で述べたような人間関係の形成には適さないのかもしれません。

上のようなことを考えていると、以前に読んだ「自由と規範のパラドックス」というテーマに関する文章を思い出します(以前にどこかの大学の小論文試験で出題されたものです)。そこでは、日本とアメリカの学校での作文指導の違いが主なトピックになっており、文章を書く際の「型」(英語のエッセイを書く時に守るように言われる「introduction→body→conclusion」という構成ですね)をしっかりと叩き込まれるアメリカの児童・生徒が書いたものが内容の面において一人ひとりの自由な発想を反映した作文になるのに対し、日本の学校では文章の構成に関する指導をほとんど行わず児童・生徒の自主的な判断を尊重するが故に多くの人が似通った内容の文章を書いてしまうということが述べられていました。

これを望ましい学習環境とはどのようなものかという問題に当てはめると、多くの人が集まる場は一見どのような人と出会うかということについて大きな可能性があるというように思えるかもしれませんが、実際には自分の判断を「縛る」ものがないために「これまでの自分」という「枠」から自由になることができないと考えられます。このようなことを踏まえて、SOLの帰国生大学受験セミナーでは今後もグループ指導の一週間の定員を16名とした上で、彼らが様々な人とコミュニケーションを取ることができる共有スペースを維持していきたいと思います。

さて、今週のグループ指導についてですが、東京23区やその近郊で新型コロナウィルスの感染者が急激に増加しており、東京都を含む一都三県を対象に国の緊急事態宣言が再び出されることになりました。しかし、現在、教室で大学受験に向けた準備をしている人は自転車で通っていたり、教室からそれほど遠くない場所に自宅があったりするため(それ以外の生徒はオンラインで授業を受けています)、先週までと同様の形でグループ指導を行いたいと考えています。また、個別指導や個別面談は、公共交通機関を使わずに教室に来ることが可能な場合は対面で、この条件を満たせないケースではzoomなどを使ってオンラインで行うことにします。よろしくお願いいたします。

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それでは、帰国生大学受験セミナーのグループ指導の内容や日程などに関して情報をご希望の方は以下のフォーム、もしくはinfo@schoolofliteracy.comよりご連絡ください。よろしくお願いいたします。

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