受験する大学や学部・学科の選び方について(7) ―帰国生大学入試についてvol. 252―

(2020年6月8日 15:20)

こんにちは。SOLの余語です。
最近の2つの記事では、経団連や大学が公表しているデータを用いて、大学のどの学部・学科で学んだかということが就職活動に与える影響は(少なくとも、多くの人が考えているほどには)大きくないのではないかということを述べました。僕の友人でも、専門性があることが昇進の足かせになっているケースは少なくないですし、日本の企業は伝統的に雇用調整を社員の配置転換や出向で行うことが多いという話をよく聞きます。このようなことを考えても、受験する学部・学科を選ぶ時に将来の就職活動に有利かどうかに重点を置く必要はあまりないように思います。

さて、大学受験の準備を始めるにあたって、自分の学問的な関心がどこにあるかがわからないため、ICUや上智大学国際教養学部、慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部のようなリベラルアーツ的なカリキュラムを採る大学への入学を目指すと言う人が多くいます。確かに、18、19歳という社会経験などが少ない年齢でそこからの4年間専門的に学ぶことを選ぶのが難しいであろうことは、自分がその年代だった頃を振り返ってみても理解できるのですが、だからと言って教養学部的なプログラムの大学や学部を志望する場合でも、「自分が大学で何を学びたいのか」ということをしっかりと検討しないというのは望ましいことではありません。

それは、帰国生入試や(9月入学のものを含めた)AO入試で提出が求められる志望理由書をこのような形で書いてしまうと、大学で合否の判断をする担当者に悪い印象を与えてしまう可能性があるからです。教養学部的な課程を持つ大学や学部の入試では、出願時に出した書類の内容によって合否が決まったり、それに基づいた形で面接試験が行われたりするのですが、志望理由書が「大学で学びたいことが決まっていないのでリベラルアーツ的なカリキュラムを採る貴学に入学したい」という内容のものになってしまうと、高校を卒業し社会に出るまでの4年間で何をしたいかというような、本来であればある個人にとって重要な意味を持つ事柄についてじっくりと考える姿勢がないように読めてしまいます。

大学の教員は、大学卒業後に企業に入って働くのが一般的とされる現代日本社会において、進路を決定する際に自分が強い関心を持っている学問的な問題に関して様々な角度から追究したいという気持ちを優先した人たちです。このような人が自分の教え子として迎えたいと思う受験生は、自分と同じように旺盛な知的好奇心を持ち、腰を据えて何かを考える姿勢を持った人であるはずで(そうでなければ、大学で授業を担当する毎日は彼らにとって大きな苦痛を感じるものになるでしょう)、そういった研究者が合否の判断をする大学入試においては、どのような学部・学科を受験するにせよ、「大学で何を学びたいのか」という自分にとって身近なものと考えられる問題について真剣に考えるということを放棄しているかのような内容の書類を提出するのは百害あって一利なしだと思います。

※大手の予備校や塾からSOLに移ってきた人に話を聞くと、今回の記事で取り上げたような志望理由を、誰もがそのように考えそうだからダメだと言う人が多くいるようですが、僕はこのような考え方には賛成できません。その理由については、「受験する大学や学部・学科の選び方について」というシリーズが終了後に掲載する予定の記事で述べることにします。

もちろん、書類審査で合否が決まる場合には、高校の成績や大学入学資格を取得するための統一試験の成績も重視されます(小論文試験などがある場合にはそちらの成績も合否に大きく関係します)ので、「大学で何を学びたいのかわからない」という形の志望理由書を作成したからと言って必ず不合格になるというわけではありません。しかし、特にSATやIB Diplomaなどの成績が合格に必要だと一般的に言われている水準を大きく上回っているということがなければ、教養学部系の大学・学部を受験するのであっても「大学で何を学びたいのか」ということを時間をかけて考えた方がいいと思います。

それでは、日本の大学の帰国生入試やAO入試の受験に関してご質問などがありましたら、以下のフォームからご連絡いただくか、info@schoolofliteracy.comにメールをお送りいただければと思います。よろしくお願いいたします。

【教育相談フォーム】
https://www.schoolofliteracy.com/consultation/form.html

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