小論文の授業を受けることの意義についてvol. 1 ―帰国生大学入試についてvol. 3-

(2010年11月28日 15:33)


こんにちは。SOLの余語です。
海外生の教育相談を担当していると、自分の日本の同級生と同じ時期に入学したいと考える人から「海外の高校を12月に早卒業して、次の年の4月に大学に入学したいのですが、どうしたらいいですか?」という質問を受けることがあります。中学以降で海外に渡航した帰国生はたいてい、同じ年齢の人より1年遅れて大学に入学することになりますが、浪人をしたように思われてしまったり、年下の人に同年齢の友人であるがのごとくふるまわれてしまったりするのが嫌だというのが、早卒業をしてすぐに大学に入学したいと考える主な理由のようです。

このような質問に対して、僕は「なるべく早卒業をしないほうがいい」とまずは答えることにしています(もちろん、相談してきた人の熱意や個人的な事情、メールや会話の中で伝わってくる能力によって、その後のアプローチは変わります)。そのように答える背景には、早卒業を目指して学校の授業に参加しながら、同時に帰国子女枠大学受験の準備をすることは負担が大きく、どっちつかずになる(多くの場合は、結果に満足できない形で受験が終わるということ)可能性が高いからです。特に、難関大の小論文問題は精神年齢が高い方が有利なので、年齢が1歳違うことも合否に影響します。

しかし、早卒業に対して基本的に否定的な反応をしてしまうことには、より大きな理由があります。それは、自分の適性や関心のある学問を見極める時間的余裕が持てないということです。

日本の大学教育の大きな欠陥の一つは、高校で学部学科の内容や自分の適性を知る機会が少ないにもかかわらず、法律上未成年として扱われる程度の判断能力しか持たないとされる18歳、19歳の人に将来に関わる大きな選択(=学部学科選択)をさせるということにあると僕は考えます(大学には入学後に転部転科試験が用意されていますが、それを利用せず、入学した当初の学部学科にとどまることが通常のようです)。現在の就職活動の状況などから学生には時間的余裕がほとんどないため、それは大きな問題にならないようですが、そのような状況の中で、自分のしたいことを見失ったり、適性と合わない学問・研究活動に参加することに悩みを抱いたりして、大学に通うことに対するモチベーションを失う人もいるようです。最近、大学1、2年で中退する学生が多くいて、大学側がその対処に追われているという内容の記事が朝日新聞に掲載されていましたが、これはそのような人が少ないことの表れとして理解できるかと思います。

この点、一般入試を受験する学生に比べると帰国生は恵まれた状況に置かれています(それでも、出願期間終了直前まで志望学部や学科が決まらないという受験生に、1年の中で何人も出会いますが)。大学の一般入試は多くの場合、英語や国語、日本史や世界史、現代社会といった科目のテストで構成されることがほとんどですが、これらは大学で実際に学ぶ学問に直接ふれたものではなく、学問を学ぶための素養にあたるものです。大学での生活を充実したものにするためには、このような素養はもちろん大切ですが、実際に自分が進学しようとする学部でどのような学問を学ぶのかということに対する実感を得ることは難しいように思います。

例えば、日本史や世界史といった大学で学ぶ学問(この場合、歴史学ですね)との関連性が高いと思われるものでも、その教科書にはただ事実(とされるもの)が羅列してあるだけで、学者がどのような活動をしているか、このような「事実」がどのように事実であると確認されたのかということはうかがい知ることができません(そのような記述があったとしても、多くの場合、本文に付いた注の中で小さな文字を用いて説明してあるだけです)。また、現代文で学者の文章にふれることがあっても、内容の読み取りが優先されて、その人がどのような学問でどのような研究をしているのかということを知ることはあまりないと思います(これは英語の授業でも同様です。現代文や英語の授業を担当する教師の大半が文学部出身であることと大きな関連性があるのでしょう)。

また、学問活動の現場に対する実感を持つ機会を与えられないことも、日本の教育制度が抱える問題の一つだと思いますが、これを克服するために、一般受験生の多くは入試ガイドのようなものを購入したり、オープンキャンパスに足繁く通ったりすることになる訳です。

一方で、帰国生には受験生活の中などで、この問題を克服するための機会を多く与えられているのですが、それについては次回の記事で説明します。

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