文法の学習は、単元を絞って行いましょう ―英語学習の勧めvol.34―

(2011年1月17日 15:11)


こんにちは。SOLの余語です。
授業で文法の学習の必要性について話をすると、嫌悪感や「面倒くさい」といった表情を示すなど、帰国生や海外生からはあまり良い反応を得られません。それは、前にも述べたように、文法の学習をしなくても日常生活を問題なく過ごせるということがあるのでしょうが、日本の中学校教育を受けた経験のある人には、自分が生活を送っている社会で実際に使われないようなものまで勉強させられるものという認識があるように思います。

確かに、日本の教育制度の中で行われる英文法の学習には、現在の社会では用いられない(もしくは、異なる形で用いられる)ものが多く含まれていることは否定することができません。日本の英語教育は基本的に、大学の文学部を卒業した人が教師になることが多く(その他の学部の人が英語の教員免許を取ろうとすると、自分の学部に関係する授業の他に、文学部の授業を多く受講しなければならなくなるなど、学生にとってはかなり重たい負担が伴うことが教員の構成に偏りのでる理由です)、そのような教員にとっては文学作品の鑑賞ができる水準での英語運用能力が学習の最終目標となります。

そうなると、昔は正しいとされていたり、重要だとされていたりしたが、今はそうではないもの(例えば、現在ではno more thanとnot more thanは同じ意味で使われる表現だと英語圏の人々は考えているようですが、以前はno more thanはonly、not more thanは「~以下」の意味で使うものという形で区別されていました)や方言、個人の回想や会話といった、ある一定の場面にのみ使用することが許されるものなどまで、学習すべき文法事項ということになります。また、方言や会話文といったものまで文法的に分析しようとすると、そこで示されるルールというものは統一感のないものになることが多く(特に、会話文などはそれが置かれている文脈が重要になるのですから、一貫性のあるルールを導き出すことは難しいでしょう)、学習者が混乱してしまってもおかしくないということになります。

その上、日本の大学や高校入試では、記憶してきた知識量によって合否が決定する形式のものが多いことによって、頭の中に入れておくべき文法事項の量が増加します。特に、難関大学の入試では、通常の人が知っている知識を問題としても、テストの点数に差がつかないために、英語圏の人でもよくわからないものを出題してくることが多くあります。そのため、日本の文法のテキストや問題集は、帰国生や海外生(それが、英語の学習に熱心に取り組んでいる人であっても)にとって、「見たこともないし聞いたこともない」ような知識が目につくということになるのです。

しかし、これまでのブログ記事でも確認してきた通り、年齢相応の英語の文章を読み書きしたり、TOEICやTOEFL、難関大学の帰国生入試の英語試験に対応したりするには、文法の学習は必要不可欠です。そこで、文学以外の学問や現在の社会的問題に関する文章を読み書きするのに必要なもの(これだけ習得しておけば、大学に入学した後や社会人になった時に、十分な英語運用能力があると認められるはずです)に絞り込んで学習していきましょう。そのような文法事項は、多くの人にとって自分の現在の生活に直結したものであるでしょうから、学習に対するモチベーションを持ちやすいはずです。

次回から、この「英語学習の勧め」シリーズでは、知っておくべき文法事項かどうか、または帰国生・海外生が誤った理解を持ちやすいといった観点から、学習する必要性の高い文法事項を紹介していきます。それらの単元について、文法のテキストなどを補助教材として用いながら、理解を深めてもらえればと思います。

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