仮定法は将来のことを表すのに使えるのでしょうか?vol.1 ―英語学習の勧めvol.79―

(2011年6月20日 17:50)

こんにちは。SOLの余語です。
「英語の学習の勧め」では、vol. 75からvol. 78にかけて、現実とは反する仮定を述べるときに使う仮定法(the subjunctive mood)という表現の基本的な型を確認してきましたが、今後はその他の型について説明する予定です。今回は、その第1回目として、将来のことを表すのに仮定法を使えるのかということを考えてみたいと思います。

これまで説明してきた通り、仮定法は現在にせよ、過去にせよ、事実に反する仮定を述べるためのものです。それを考えると、何も事実であると評価できることが存在しない将来の事柄については仮定法を用いることができないとするのが、論理的に筋が通っていることのように思えます。

しかし、以前、将来の行為を表す表現としてbe+doingという形があることを紹介した時にも述べましたが、「将来の不明確な事項」であるか、「現在の確定的な事項」であるかは、その情報を発信するものの頭の中で線引きがなされるもので、よく考えてみるとその区別は曖昧であることが少なくありません。将来の次元に属することでも、自分の頭の中では「現在の事実」と呼ぶに値するものがあるというのはよくあることでしょう(「将来、僕は弁護士になるんだ」と確信している人が、すでに生じている事実と同じくらいその実現性に疑いを持たないということは往々にしてあることです)。

よって、将来の事柄であっても、それが起こることが確定的で、それとは反対の状況になることが「万が一」と考えられる時には、仮定法過去(現在の事実に反する仮定を述べる時の表現です)を使うことができますが、その場合には、以下の例文がそうであるように、条件を表す部分にshouldを入れるというのが一つのルールです。

If I should fail, I would try again.

この文は、「万が一、失敗することがあっても、また挑戦するつもりだ」という将来に関するものですが、ifで始まる条件を表す部分にshouldを入れることで、仮定法の文にすることができますし、「失敗しない」という強い確信を持っていること(それが現実だと思うくらい強い確信です)を伝えることができるようになるわけです。辞書から引用した、次のいくつかの文も同じ理屈で仮定法が使われていますが、将来の事柄であることを確認してみてください。

If anything should happen to you, I wouldn't be able to go on living.
If I should live to be a hundred, I would never understand Picasso.
If the United States should ever decide to stop controlling and bettering human nature, the nation would deteriorate rapidly into something very, very nasty.


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