帰国生入試の受験準備を行うのに最適な環境とは?vol.11 ―帰国生大学入試についてvol.80―

(2012年4月25日 18:40)

こんにちは。SOLの余語です。
前回の記事では、構成する人の数が多く、他の人に関する理解を深く持てない環境において人間はどのように行動する傾向があるのかという観点から、「人数の多い環境」は帰国生が大学受験の準備をする場としてふさわしくないということを述べました。評価の高い小論文を書けるようになるために必要な様々な人とのコミュニケーションが「人数の多い環境」では阻害される可能性のあることがこのように考える背景にありますが、小論文試験に向けた学習のその他の側面を考えても、同様の結論を導き出すことができます。


小論文の出来を評価する際には、そこで示された考察が十分に深められたもので、読み手が容易に受け入れられるほど練れた内容になっているかということが基準の一つになります。この点、例えば、「裁判員制度の是非」といったトピックはこの制度が実際に運用されるうちに明らかになったメリットやデメリットがあるため、今後も引き続き小論文試験において出題される可能性があるものですが、これを否定的に捉えた文章を書こうとして、「法律についての知識や裁判に参加した経験が少ない裁判員は、法律で規定されていることや先例で示された基準などを無視したり、それを誤った形で事件に適用したりする可能性がある」ということを論拠にしようとする人が多くいます。


確かに、上で示した論拠は提示しただけで一定の理解を示してくれる人がいる可能性のあるものです。しかし、一般的な日本人は中学校や高校の公民の授業で法律に関する授業を受けていますし、裁判員になる人には裁判官にはない視点で物事を見ることが求められていることを考えると、裁判に参加した経験が少ないことは問題にならない(むしろ、そうであるからこそ一般の国民を裁判員として法廷に参加させるべき)と考える人もいるかもしれません。


このような考えを採る人にも自分の立場を受け入れてもらえるようにするためには、日本の公民の授業では憲法や刑法、民法といった主要な法律で定めてあることを概括的に学習するだけで、実際の裁判の場面での適用の仕方などを具体的に知ることはできないということを文章の内容にすることで、多くの国民が法律に対する知識をそれほど多くは持っていないということをアピールする必要があります。また、裁判に参加した経験の少なさを問題とする場合には、裁判員として法廷に臨む時には、被告人が有罪だと推定して刑に服することを希望する被害者や遺族の前で有罪や無罪の判断を行わなければならないが、一般的な生活を送る人にこのような状況で冷静になることを期待するのは難しいといったことを書き加えた方が、様々な立場の人に自分の主張の説得力を認めてもらえる可能性が高まるはずです(裁判員制度を問題視する人の中には、裁判員の心理的な負担をその理由とする人もいますが、その場合、ここで問題となっている心理的負担が一般の人に受忍することを期待できないほど重大なものであることを論証したり、裁判員制度を維持することで得られる利益が大きくないことを述べたりする必要があるでしょう)。


これが「小論文で提示しようとする考察を深める」ということが意味するところですが、このような形で小論文の内容を充実するための能力を身に付けるためには、一定の学習過程をたどる必要があります。次回は、それがどのようなものかということと「人数が多い環境」が与える影響について説明したいと思います。


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