帰国生大学受験セミナー通信vol.35 ―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol.63―

(2013年2月27日 16:40)

こんにちは。SOLの余語です。
SOLの帰国生大学受験セミナーは先週で通常の集団授業が終了し、後は国立大学の帰国生入試を受験した生徒の面接試験対策を残すのみとなりました。現在、教室に毎日通って来ているのは、2012年の11月にオーストラリアの高校を卒業した人と4月から日本の高校に編入する予定の人の2人になり、これまでの8ヶ月間とは違う空気感に少し戸惑いを感じています。


さて、僕が帰国生の大学受験指導を初めて携わったのは15年近く前のことになりますが、ここ数年、生徒を見ていて思うのは歴史に対する知識が乏しい、もしくはそれを学ぼうという意識の薄い人が増えたということです。日本の小学校や中学校で「イイクニ(1192年)作ろう鎌倉幕府」といったことの暗記を中心に進められる歴史教育を受けた経験がある人が歴史を学ぶことに背を向けることは僕も理解ができます。また、上のような傾向は進歩的な歴史観(現代に近づけば近づくほど人間は賢くなる、もしくは賢い人間だけが生き残るという考え方です)の下で過去を否定的に捉える考え方が世の中で広く共有されていることの表れと解釈することも可能だと思います。


一方で、欧米ではエリート教育において歴史は文学や数学と並んで重要な学習事項と捉えられていますし、日本でも年齢を一定以上重ねた人には歴史に関する文献を読むことが大切なことだと考える人が多いようです。この考えには、歴史の中では同じ様な出来事や現象が繰り返し起こっていることや、社会科学や人文科学の分野では、自然科学と異なり、実験を通じた確認作業を行なうことが難しいということが伴っていることが多いですし、4万年前の人間と現代人の脳の容量や構成などの比較をすると、人間は生物学的にこの間ほとんど進化していないことを指摘する人もいます。これはつまり、ある人の学問的な事項や社会問題に関する主張の有効性は歴史を学ぶ過程で見られる様々な人間の行動や生活のあり方によってのみ具体的に担保されるということなのだと思います。


例えば、民主主義について書かれた法学や政治学の本には、「多数決で物事が決まる民主制の社会では多数派が暴走する可能性がある」ということが書かれていることがあります。民主制という制度のあり方を踏まえてこのような問題は確かに存在すると考える人もいるでしょうし、多数派の人々も自分の属する社会を破壊することには慎重になるはずと反論する人もいるでしょう。しかし、ユダヤ人の大虐殺という歴史上で最も悲惨な事件を引き起こしたヒトラーが民主的な政治過程の中でドイツの最高権力者となったという事実を引き合いに出されると、上のような考えが正しいものであるということを誰もが納得せざるを得ません。


一般的に、社会科学や人文科学に関する文献には歴史的な事実に関する記述が多く含まれており、それが何かということが分からないと筆者の主張の正当性を評価することが難しくなりますし、その内容をうまく理解できないということになる場合もあります(大学の講義でなされる話も同様です)。逆に、自分で小論文などを書く場面で、そこで展開しようとする主張や分析に合った現象や事実を歴史の中から選んでくることができれば、その内容は十分な説得力を持ったものになることが考えられます。


このように、学問的な文章を読み書きするのには歴史的な知識があることは望ましいものです。日本の高校や中学校で学んでいる人のように、出来事一つ一つが起こった年代や歴史の大きな流れとは関係のない細かな知識などを記憶する必要はありませんが、歴史の転換点となるような主要な事件などがどのようなものであったのかということについては教科書で学習できる範囲の理解を得るようにしましょう。


それでは、今回の内容に関してご質問などがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。


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