小論文学習において、「どう書くか」より「何を書くか」を優先することについて① ―メールマガジン2010年8月4日配信分―

(2014年2月17日 19:50)

こんにちは。SOLの前島です。
日本では猛暑続きのまま8月を迎えました。すでに早稲田大は帰国生入試の出願期間を終えており、他の私大も9月に入試のあるところから徐々に出願期間を迎える時期に来ています。つまり、そろそろ受験大学・学部を確定しなければいけない時期であり、SOLの教室の大学受験生も、受験大学・学部の確定に当たって合格可能性を気にし始めています。そのため合格可能性について尋ねられることが増えていますが、「明日試験だったら落ちるかも」と答えることはあっても、まだ1ヶ月、2ヶ月ある試験に対して、断定的なことは言いません。今懸命に学んでいる生徒なら、1、2ヶ月のうちに別人のように成長することがあるからです。特に小論文においてはそれが顕著です。
今回のメールマガジンは、小論文学習についてお伝えします。


小論文学習の初期においては、何を書けばよいか、だけではなく、どう書けばよいか、を気にする人が多くいます。どう書けばよいかとは、段落構成をどうしたらよいかとか、段落をどう始めたらよいかなど、小論文の形式的な面を指しますが、学習の手順としてはそこに焦点を当てるところから始めるのは得策ではありません。
得策でない理由は主に2つあり、1つは仕上がる小論文の質の問題、もう1つは小論文入試の出題形式の問題です。今回はこのうちの前者について述べたいと思います。


文章を書く際、型を学ぶことは非常に重要です。日本の学校教育では作文を書かせる場合に型を教えず自由に書かせることが多いですが、結果的に読者に訴える力の乏しい、画一的な内容の作文が仕上がりがちです。これは事前に型をイメージできていないために、時系列に沿って述べるという安易な方法に皆が頼るためですし、何を書くべきかについても何となく決まっている気がしているためです(たとえば、遠足についての作文なら、「楽しかった。また行きたい」など)。型を教えないのは、言葉は普段使っているのだし、文章も読んだことがあるのだから、どうすれば仕上がるのかについてはもうイメージを持っているだろう、と思われているからでしょう。
しかし、会話をするのと文章を書くのでは、まず自律性という点で大きな違いがあります。日常会話は文脈や共有の知識、表情や相手の洞察力に大きく依存していて、言葉できちんと言い切らなくても会話が成立してしまいますが、文章を書く場合は全く違います。だからこそ、文章を書く場合も読み手を具体的に想定し、読み手に呼びかける形で書き進めることが比較的取り組みやすい方法であるわけです。逆に言えば、文章の自律性を手に入れるにはそうした何らかの工夫が必要だということですが、それはたいていの人が日常会話の世界の方により多く馴染んでいるため、当然のことです。文章を読んだという経験だけで文章の自律性を手に入れるとしたら、本を読むのが好きだと公言できるくらいの読書量が必要でしょう。
とは言うものの、大学受験学年くらいになると、学校の勉強だけでもかなり論説文を読む経験を積める場合があり、小論文として書くべき文章についてもある程度イメージを持っていることがあります。また、その点が多少怪しくても、日常会話において、込み入った事情を整理して説明したり、自分の意見に説得力ある理由を添えて主張したりすることはたびたび経験している年齢ですので、書きたい内容がありさえすれば、何とか文章の流れを作れるのが普通です。書く訓練をしたことがなければ、段落という形式を理解しておらず最初から最後まで段落分けのない一続きの文章を作成してしまうことはありますが、その場合もたいてい、よく読んでみると段落の切れ目にすべき箇所がきちんと存在しています。つまり、そこで段落分けさえすればちゃんとした小論文になります。それに加え、書くべき内容さえあれば、書き方は短期間で十分習得できますし、表現力もずいぶん上がります。


一方、書き方を習っても書くべき内容の習得は進みにくいのが実情です。書くことは本来、考えることと表裏一体なので、書き方を知ることは考え方を磨くことにつながり、それは小論文の内容を深めるのに役立つはずですが……。必ずしもそうならないのは、書く内容より書き方を気にする受験生の多くが、いわゆるhow toを知りたがる傾向にあるからです。小論文問題という得体の知れない、または厄介な対象を前にして、簡単に解決できる解法を手に入れたいと思っているのです。
そうした場合には、書き方を学ぶことは考えることの深化につながるよりも、考えることを放棄して決められた解答に飛びつくことにつながりやすいと言えます。そして実際に、多くの受験生が、小論文問題をパターン化して解法を覚えるという学習の仕方に固執しがちのようです。市販の小論文参考書の売れ筋(または最も有名な小論文講師)はこの方向性ですし、各予備校で実際にどう教えているかは別として、大手予備校の受講者には小論文をそのように教えられたと理解している(おそらく誤解している)人が多くいるのが現状です。
しかし、それでは小論文問題において非常に重要な要素である「考察」が疎かになり、実際に書きあがった小論文の評価も下がります。一見するときちんとした小論文らしいものが仕上がっているのに、よく読むと内容が薄いとか論理的に弱いといった問題が生じやすいのがこのタイプの小論文です。また、論理性に問題がない場合も、論じ方や扱う例があまりに紋切り型で、大学の先生に実態以上に低く評価されやすいものです。内輪の話として出たものを何箇所かで聞いたため、いちいち例示はしませんが、同じ意見を同じ例を用いて似たような形で書いた答案が受験生の中に何枚も見られることを(というより、論じるということをそのように暗記問題に貶めていることを、かもしれませんが)、不快に思っている大学教授は何人もいるようです。
そのため、小論文問題の本質を見失わず、きちんと論じる力をつけていくには、書き方よりもまず何を書くのがよいかを追究することが重要です。ただし論説文を読みなれていない場合は、同時に多く読むことによって論じる型のイメージをつかむことも目指さねばなりません。


今回はここまでとします。次回、この件を小論文問題の出題形式との関連から述べたいと思います。


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