2015年度帰国生大学受験セミナーの現場から見えたことvol. 4 ―帰国生大学入試についてvol.232―

(2016年5月11日 15:00)

こんにちは。SOLの余語です。
前回は、フィジーやオーストラリアの高校を卒業した後に受験準備を進めた、昨年度の帰国生大学受験セミナーの生徒2人が、学習期間を長く確保できたおかげで英語運用能力を上げることが可能になったということを述べました。近年、TOEFLやTOEICといった英語運用能力を測る試験の成績が出願資格を得るための条件となっている帰国生入試やAO入試が増えていますが、2人はTOEICのスコアが上がったことで受験できる大学を十分に確保することができました。

さて、その2人の生徒のように長い期間、受験準備に充てられることには、英語運用能力を高められること以外にも利点があると僕は考えています。それは、ほとんどの帰国生にとって年齢相応な文章を英語よりも容易に接することができ、そこから情報をスムーズに引き出すことのできる日本語で書かれた書籍を読む時間を十分に確保できるということです。日本語で読書することで、帰国生入試やAO入試の小論文試験の多くで読むことが求められる問題文(新書などの学者が書いた文章から抜粋されるのが一般的です)をよりよく読解したり、自分の考えを論述したりといった大学受験に直接的に関係のある能力だけでなく、自分の関心のある分野を広げる、もしくはその関心を深めていくということも期待できます。

例えば、フィジーには「ケレケレ」と呼ばれる、自分の持っている物をそれがなく困っている人にどんどん分け与えるという慣習があるそうです。日本人は多くの物を持っていると現地では考えられているので、自動的に「与える側」に分類されてしまうようなのですが、フィジーに単身留学していた生徒はそれを「自分の物が勝手に使われる」とか「盗まれる」と評価し、フィジー社会のあり方に不満を持っていました(物に対する所有権やプライバシーということがいつの間にか口やかましく言われるようになった日本で育ったのですから、致し方ないことです)。しかし、このような慣習はイスラム文化圏や(フィジーほど徹底したものではないにしても)西欧文化圏でも広く見られるもので、そのおかげで生活に対する安心感や幸福度が高まるという実例もある(実際にフィジーを「世界で最も幸福な国」とする国際的な調査もあります)ということを僕らが推薦した内田樹氏の本などを読むことで知り、日本で「生活に必要な物を他人と共有する」という考え方が希薄になった原因は何か、どのようにすればそれが根付いた環境を生むことができるのかということを考えるようになりました。そして、それに関連した書籍を読むようになりましたし、その後、自然環境と密接な関係を築くことで人間の生活に必要な物を調達することにも関心を抱き、藻谷浩介氏の『里山資本主義』(これはSOLの生徒の中では最も人気のある一冊です)なども読んでいました。

彼が大学受験の際にコミュニティー・デザインを主に学ぶことのできる学部・学科を選択したことを考えると、このような読書体験が彼の中で自分の関心を明確にすることにつながっていったように思います。そして、その明らかになった自分の関心をさらに読書を進めることによって深めることは、入試の際の面接試験での面接官とのやり取りを充実したものにしたり、小論文を書く際に内容に深みを持たせたりするといった効果も期待できるものでもあります(また、大学入学後の学習も刺激あるものにする効果もあるようで、彼は先日教室に来て、入学した大学の授業で藻谷浩介氏の話を直接聞く機会があることを興奮した様子で報告してくれました)。

生徒の日本語での読書については、一人一人の話を聞いた上で、僕ら講師陣が具体的な書籍名などを提案しています(その後、それを読んだ反応を見ながら、他のものを提案するということを繰り返します)。また、本を読んでいる中で分からない単語や概念などが出てきた時には随時授業外で受けるようにしています。このような読書体験がきっかけで大学入学後も本を読み続けるという人はこれまでの生徒の中に少なからずいるようで、僕らも嬉しく思っています。

それでは、今回の内容に関して、ご質問などがありましたら、以下のフォームやこちらよりご連絡ください。
【お問い合わせフォーム】
https://www.schoolofliteracy.com/contact/

トップへ戻る