2015年度帰国生大学受験セミナーの現場から見えたことvol. 9 ―帰国生大学入試についてvol. 237―

(2016年6月20日 17:45)

こんにちは。SOLの余語です。
「帰国生大学入試についてvol. 236」では、ここ20年で最も大きな社会的変化の一つと考えられる情報機器やインターネットの発展の子どもの知的な好奇心に対する影響について考え、インターネットの利用によって時間を浪費してしまうことを取り上げました。最近は若い人の間でインターネット中毒が広がっていることが問題視されていますが、そこまで行かなくても子どもから知的な関心を引き出すことを阻害する可能性がありますので、情報機器は時間を限定して使用するように心がけたほうがよいと思います。

さて、情報機器やインターネットの普及は他の形でも子供に影響を及ぼしていると考えられます。インターネット上に展開されているサイトやサービスはこの20年間で急激に増大し、Googleのような検索サイトを利用しない限り、自分が求めているものを見つけることが難しくなってしまいました。現在ではほとんどのインターネット利用者が検索サイトの性能が向上していることの恩恵を受けていると思いますが、実際に使ってみるとどのようなキーワード(の組み合わせ)を入力しても数多くの閲覧候補が表示されます。

これが子どもの知的な関心を引き出すことに与える影響には様々のものが考えられると思います。例えば、自分がある時点で関心を持っていることを検索し、それに対して予想していた以上の数のサイトが表示されることは、子どもにとって「自分が興味を持っているものは多くの人が価値を認めているものである」というメッセージとなります。そして、様々な問題や事柄には一般的にどのような重要性があると捉えられているのかということについて一定の理解がない段階でこのようなメッセージを受け取ってしまうことにより、自分の関心事の社会的な価値に疑いを抱きにくくなり、日常生活から距離のある他の人の思考のあり方や社会的な問題などに関心が向かなくなる可能性が出てくるのです。

また、現代日本社会では、日本やその他の国の歴史について極端に断片化された知識に基づいて歴史観を形成している人々によるヘイトスピーチなどが問題になっており、このような現象とインターネットの関連性が度々指摘されています。ここで問題となっているのは、インターネットから情報を引き出す時には自分で検索の条件を設定することが求められることと、どのサイトを閲覧するかということについての選択の自由が利用者に与えられていることです。この2つのインターネットの特徴によって、上で述べたような人々がもともと持っていた考えや感情(この場合だと、何らかの形で傷づけられた自尊感情ということになると思います)に合うような情報のみに注目したり、それに反するものを無視したりすることを可能にするのですが、これらの特徴は子どもの知的な関心を引き出すことにも重大な影響を及ぼすことが考えられます。

何かを知的に探究しようという気持ちを支えるものの一つは、自分にとって予想もしなかった事態や考え方が目前にあり、そしてそれを他の重要な事柄と整合する形で含んだ世界観を形成しなくてはならない(例外的な事象であるとか重要性がないとかというような形で「なかったことにする」ことが許されない)という切迫感のようなものです。しかし、インターネットにはもともと持っていた世界観などの正当性を個人の頭の中で増幅してしまう傾向があるため、これまで考えもしなかったような事柄を「価値の低いもの」であると切り捨ててしまったり、本を読むことなどによって考察を深めようという姿勢を取らなくなったりする可能性があり、それが知的な関心の対象が拡大しないということにつながってしまいます。

インターネットの世界が拡充したことは、自分の考えの正当性を相対的に捉え、批評的に検討することができる能力をすでに身に付けている人にとっては、用いることのできる情報を増やしてくれるという大きな恩恵があります。一方で、精神的な能力がそこまで高まっていない人が受ける影響の負の面にも十分な認識を持つべきであり、このような観点からもスマートフォンなどの使用には一定の制限を設けるべきだと考えています。

それでは、次回は、子どもの知的な関心を引き出すことに対するインターネットの影響について考えていることをもう一つ取り上げたいと思います。今回の内容に関して、ご質問などがありましたら、以下のフォームやこちらよりご連絡ください。

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