2015年度帰国生大学受験セミナーの現場から見えたことvol. 6 ―帰国生大学入試についてvol. 234―

(2016年6月3日 17:40)

こんにちは。SOLの余語です。
「帰国生大学入試についてvol. 233」では、学習に対する意欲を支えるものの一つに知的な好奇心があることが広く認められていることや、人間の思考の傾向などを踏まえると、僕らには知的な好奇心や探求心といったものが生得的に備わっているはずと考えることができるということを述べました。幼児期に、目の前で起こる自然現象をじっと眺めていたり、自分の周りにいる大人に対して「なぜ?」という問いかけを頻繁に繰り返したりするのは、その一つの表れのように思われます。

このような知的な関心は年齢が進むのに合わせて健全に発達すると、自分が経験したり自分との関係が深いと感じたりしていることから、他人の経験や社会的な問題といった自分の現在の日常生活とは距離があるもの(これは、自分自身の将来がどのようなものになるのかという問題も含むと思います)へとその対象とする範囲を拡大していきます。この点、そのようなプロセスを自発的に歩んでいるように見える人もいるのですが、ごく少数の例外的なケースを除くと、ほとんど全ての人間にとって、上で述べたようなより広い領域への知的な好奇心は、自分の親や学校で出会う教師などのサポートや自分の置かれた状況の影響によって引き出されるものです。

自分にとって直接的な関連性がないと思われる事柄について知ろうとしたり理解しようとしたりする際(それにとどまらず自分の過去のような自分との関係が深いものを振り返ったり評価したりする場面でも)、人間は言葉という媒介を必要とします。そして、数多くある言語の中でも母語となるものは誰の助けも受けず自分一人で身に付けられるもののように思われがちですが、実際には生まれた時点から周りの人が言語を使用しているのを聞いて、言葉の意味や用法、文法を学んでいますし、抽象的な文章を読解できるようになるために日本では高校生になっても現代文の授業を受けることが当然のこととされています。このようなことだけを考えても、人間の知的な好奇心が成長の過程においてどのような形で引き出されるかは周りの状況に大きく依存していると言えると思います。

一人一人の人間が持つ知的な好奇心のあり方は周りの影響によって形作られるということは、以前から個人が幼少期を過ごした家庭環境(特に、その家庭の持つ経済力)に注目する形で語られてきました。例えば、村上春樹氏と親交が深く、アメリカの「短編小説復興の祖」と呼ばれるRaymond Carverは木材工場の鋸研ぎ職人を父に持ち、低所得で家には本など一冊もないという環境で育ったそうです。そこから彼は様々な職に就きながら小説家になることを目指したわけですが、村上氏によればCarverがアメリカで敬意を持たれている理由は、小説の内容に対する高い評価や、彼が様々な不幸を乗り越え目標を達成したことだけでなく、人間の思考や感情に対する知的な関心を持つ大人になることがほとんど期待できないような教育環境の中で一流の小説家となったこともあるとされています。

また、最近でもこのような視点からの研究が続いており、家庭の経済力やそれに伴う教育機会の差が子どもの知的な好奇心や学習意欲に大きな影響を与えるということを実証する報告がなされていますし、苅谷剛彦氏のように子どもの学習意欲は母親の学歴がその一つの表れである家庭の属する社会階層がどのようなものかということに左右されると主張する人もいます。僕はこれらの学説のほとんどに強い説得力を感じますし、個人の知的な好奇心のあり方を分析しようとする際に有用な視点だと思います。

ただし、実際に教育現場に立っている経験から、これらの学説では説明できないケースが見られ、知的な好奇心が年齢相応に引き出されておらず、その結果学習意欲も持てないという人が最近、広く見られるようになったという印象を持っています。このような変化の背後に何があるのかを次回以降の記事で考えたいと思います。

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