帰国生大学受験セミナー通信vol.31 ―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol.57―

(2013年1月23日 16:25)

こんにちは。SOLの余語です。
前回は、以前に僕らとともに受験生活を過ごしたOBやOGが頻繁に出入りしているSOLの教室という環境が、生徒に「ロールモデル」を見つける機会を与えるという点でその人間的な成長を促しているということを述べました。このような現象は現役の生徒に対して一方的な影響を持つものではなく、OBOGにとっても価値のあるものだと僕は考えていますが、今回はその点について説明したいと思います。


帰国生や海外生に、人間関係の中で「縦の関係」を重視する日本社会の伝統的な価値観の話をすると拒絶反応を示されることが多くあります。これは「横の関係」を中心とする欧米社会の中で暮らしてきた経験から反射的に示されるものである場合もありますし、「上下関係」の中では「上」に立つ人が「下」にいる人に対して横暴な振る舞いをするというイメージを持っている(もしくは、そのような目に実際にあった)ということもあるようです。しかし、人間関係の日本の伝統的な理解のあり方は、一定のリスクを孕んでいるにもかかわらず、長い期間維持されてきたことを考えると、その価値についてじっくりと考えてみる必要があるもののようにも思われます。


この点、日本の学校などで他の人と「先輩」、「後輩」と呼び合う間柄になったことがある人には経験的に了解してもらえることだと思いますが、「先輩」という位置に立つ人はそのような人間関係を受け入れ、「後輩」に対して優越的な立場で臨めるようになる代わりに、大きな重荷を背負うことになります。それは、「後輩」からの敬意が失われないように、自分自身が人間的により成長し、なるべく早く一人前の人間として社会の中で扱われるようにならなければならないという強い心的な要請です。このようなことを言うと多くの帰国生や海外生にとっては意外に聞こえるかもしれませんが、「先輩」・「後輩」の関係は自然と成立したり継続したりする訳ではなく、「後輩」の側が見切りをつけただけでも簡単に消滅してしまいますし、そうならない様にするためには「先輩」からの積極的な働きかけが必要になります。つまり、この人間関係の捉え方は何も先に生まれたり学校や企業に入ったりした人に特権を与えるという側面を持つだけでなく、「先輩」に「後輩」よりも先に人間的な成長を遂げることを要求するものでもあると解釈できるのです。


これは僕個人に限定された体験かもしれませんが、僕が12歳の時に中高一貫の学校に入学した時は6歳年上の先輩である高校3年生の人がとても大人らしく見えました。しかし、その6年後、いざ自分が高校3年生になってみると「大人らしく見えていたけど、18歳なんてこんなもんか」という印象を持ったことをよく覚えていますし、それは大学生活やその後の社会生活の中でも繰り返し起こったことです。人間の精神的成長は(少なくとも主観的には)このように緩慢であることや、「我慢」や「自重」といった形で一定の負担を強いる一方で、「大人らしい振る舞い」のできる人間が社会を維持していくために必要であるということから、「先輩」「後輩」に代表されるような人間関係における上下関係を日本では伝統的に重視するようになった(もしくは、その起源はよく分からないけれど、上のような効用があるということが確認されたため、その存在が追認された)というように僕は理解しています。それを考えると、個人の人間的な成長を促す仕組みとして他に適切なものを提示できないのであれば、その全てを不合理であるとして捨て去ることは意味のないことであるようにも思われます(「先輩」が過度に横暴な態度に出るのであれば、「後輩」がその関係を解消してしまえばいいのです)。


誰かから「ロールモデル」とされることを受け入れることは上で述べた人間関係のあり方と同様の効果が期待できるものです。この教室に毎日通う日々が終了した後も「促し」や「安心」を与えられる環境作りができればと以前から考えていましたが、それが今、一昨年度の生徒で前島に甘えてばかりいたS君が今年度の生徒であるK君に「師匠」と認定されたことで自分の言動や行動を省みるようになり、少しだけ大人らしくなったというような形で、少しずつ現実のものになっていることを大変喜ばしいと感じています。


それでは、今回の内容に関してご質問などがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。


【お問い合わせフォーム】
https://www.schoolofliteracy.com/contact/


トップへ戻る