小論文試験が大学入試の試験科目とされることの意義についてvol.3 ―SOL帰国生大学受験セミナーについてvol.72―

(2013年9月24日 18:40)

こんにちは。SOLの余語です。
前回は、大学入試の筆記試験の科目として小論文が含まれることの意義について、大学ではレポートや論文といった文章を書く課題に取り組むことが求められるが、受験準備の中で小論文を書く練習をすることで、早めにそのような作業に慣れることができるということを述べました。自分の考えをうまく文章化できないことで単位を落としてしまうこともあるようですので、大学での学習に始めから違和感なく臨めるように入学前の段階から文章を書く練習をする機会をできるだけ多く確保することが望ましいと思います。


さて、大学の授業に実際に参加したり、そこで使用されているテキストを読んだりすると、学問研究の世界においては多くの場合、何らかの問題に対して「絶対的な正解」が存在しないということが確認できます。例えば、主に法律の適切な解釈のあり方を追究することを目的とする法学に関連した本を開いてみると、日本の法律の条文が様々な意味に捉えられる文言を用いて曖昧な形で書かれることが多いこともあって、一つの条文に関して異なる解釈がいくつも提示されています。複数ある解釈のそれぞれには「通説」や「有力説」、「少数説」といった位置付けが与えられていることもあるものの、これは単にそれぞれの考え方を支持する学者の数や裁判所がどの解釈を採用しているかということを基に決まっており、通説だからと言って「絶対的な正解」としての地位を確立しているわけではありませんし、本や論文の書き手によって全く異なる学説を「正しい」と評価しているものを目にすることも多々あります。


このように「絶対的な正解」がない問題に対しては、数ある選択肢の中から自分なりに「正しい」と考えるものを選び出すという以外に回答する術が存在しませんが、その際、回答を聞く側から論拠を提示するように求められても不思議はありません(特に示された考えに同意できない人を相手にした場合には必ず論拠を尋ねられると考えた方がよいでしょう)。そこで学者や学生は、自分の直面している学問的な問題に関して世の中にどのような考え方があるのかを確認し、異なる考えを持つ人に少なくとも「そのような考えがあってもおかしくはない」という形で納得してもらうことのできる論拠を作り出すために様々な本や論文を読んでいくということになるのです。大学で行なわれている学問的な作業は「正解を見つける」ことに止まらず、自分なりに「正解を作り出していく」ことであると言い換えることができるかもしれません。


それでは、上で述べたような学問的な活動に入っていく前の段階の準備として求められるものは何か、それと小論文の学習がどのように関連するのかといった点に関しては次回の記事で説明したいと思います。なお、今回の内容に関してご質問などがありましたら、以下のフォームよりご連絡ください。


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